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凄いものが

 一昨晩の事。仕事で上京した小学生時代の友人をたずねて宿泊先へと出向いた。ボクが到着すると彼は、久しぶりの挨拶もつかの間に「凄いものが出てきたんよ」と笑いながら古臭い冊子のようなものを差しだす。見ると「昭和50年3月~卒業記念~北九州市立大蔵小学校」とある。我々の小学校の卒業アルバムだ。聞けば、先日彼が実家を整理していたときに出てきたものだという。卒業アルバムの存在すら記憶から抹消されていたボクは、今これを見られるということだけでも驚いた。しかし彼が「凄いもの」というポイントはそこではなく、このアルバムの“所有者”だった。裏表紙を見ると、何と!ボクの直筆でクラス名・出席番号、そしてボクの氏名が記されているではないか!これはボクの卒業アルバムなのだ。

 では何故、同窓同級の彼の実家にボクのアルバムが眠っていたのだろうか?彼は自分のアルバムを紛失してしまっていたのか? またどうしてこれを彼の実家に持っていく必要があったのか? 今更記憶を辿ったところで40年も前の事。アルバムの存在さえ抹消されていたのに憶えているはずがない。

 しかしながらアルバムの写真を見ていると失われたはずの記憶が断片的ながら多少は蘇ってくる。抹消されていたはずの同級生や先生方の顔と名前、背景等々。そういう意味では写真(卒業アルバム)というのは彼が言う通り「凄いもの」なのかもしれない。 その後、このアルバムを肴に盛り上がったのはいうまでもない。